朝ドラは、モデルのいるドラマと原作のあるドラマがありますね。モデルがある物語は、実在の人物が気になります。
とくにヒロインや主役が、現実にどんな生き方をしたのか、ドラマの出来事は、実際はどうなったのか、興味が湧き、知りたくなりますね。
今回の朝ドラ「まんぷく」は、モデルが存在します。実社会でも有名な方です。そして、業績も世界的に知られています。気になりますね。
「まんぷく」のモデルから、主要な方を調べてみました。驚きの人物も登場します。
まんぷくのモデル 安藤百福とは?
引用元:wikipedia
朝ドラ「まんぷく」の立花 萬平のモデルは、安藤 百福さんですね。安藤百福と言われても、ピント来ない人がいるかもしれません。
でも、日清食品と言えば、殆どの人が知っていますね。「チキンラーメン」や「カップヌードル」を代表とする、インスタントラーメンなどの有名な食品メーカーです。
誰もがお世話になっている、インスタント食品ですね。
このインスタントラーメンを発明し、全世界に販売したのが、朝ドラ「まんぷく」のモデル、安藤百福さんです。
安藤百福は、1910年3月5日、台湾で生まれています。幼い頃に両親を亡くし、苦労して育ちました。
22歳のとき、繊維会社を設立します。戦争が始り、百福は、軍需工場を経営します。この時、国の資材の横流しの濡れ衣を着せられ、逮捕されます。
その際、取り調べて激しく責められます。そのため、生涯を通じて、痛めた内臓の後遺症に、苦しむことになりました。
百福は、1945年3月21日に安藤 仁子(まさこ)と結婚します。仁子は、福子のモデルですね。その後、1948年9月4日、日清食品の前身となる、中交総社を創業します。
そして、1958年8月25日、百福48歳の頃、自宅の庭の研究室で発明した、「チキンラーメン」を発売します。
チキンラーメンは、安くて美味しく、すぐに食べられる即席ラーメンです。戦後の食糧難、栄養不足を解決したいという百福の想いが、達成されました。
インスタントラーメンは、世界中で食べられ、宇宙食ともなりました。現在では、世界中で食べられています。極貧の国や災害時の支援物資、非常食としても活躍しています。
まんぷくのモデル 安藤仁子(まさこ)とは?
引用元:https://www.nhk.or.jp/mampuku/
朝ドラ「まんぷく」のヒロインは、今井 福子で、安藤 サクラさんが演じています。
そして、実在のモデルが、安藤 仁子(あんどう まさこ)さんです。安藤家は、福島県二本松市本町の神主の家系で、由緒ある二本松神社は、地元でよく知られていました。
父親が、大阪で人力車の会社を営んでいた頃は、とても裕福でした。しかし、汽車や自動車が増えると、需要が低迷し、倒産しました。
女学校に通うにも困窮し、一時休学して、電話交換手の仕事をしながら、6年かけて卒業しています。
女学校を卒業後、当時の都ホテルに電話交換手として就職しました。働きがよく、フロント係になりすが、そこで、百福と出会います。
百福は、台湾人で、その当時は、呉 百福という名前でした。百福は、仁子と結婚した後、日本国政を取り、安藤 百福と改名しています。
百福は、ドラマの通り、数々の困難に見舞われます。百福と結婚した仁子は、その度に夫を支え続けました。
そんな境遇の中、百福は、即席ラーメンの開発に取り掛かります。仁子や家族の協力もあり、苦労の末、みごとに、チキンラーメンを成功させました。
まんぷく モデルに美智子様が登場か?
引用元:wikipedia
朝ドラ「まんぷく」の主人公のモデル・百福は、インスタントラーメンで有名な日清食品の創業者ですね。
ところが、このドラマに、皇后美智子様のモデルが登場するのではないか、だとすれば、誰が演じるのか、と言うことが、話題になっています。
まんぷくと美智子様?、何故だろうと思いますね。その理由は、日清食品にあります。
実は、皇后美智子様のお父様は、正田 英三郎さんです。お父様は、日清製粉の会長です。
同じ「日清」なので、関連会社か、親戚か、と思われたようです。
日清と名の付く会社はいくつかありますが、、日清食品と日清製粉の関係は、何もありません。
そのため、ドラマ「まんぷく」に、美智子様をモデルとした登場人物は、ありませんね。
ちょっと残念な気もしますが、脚本家も、おいそれとは設定できない、モデルですね。
まんぷくのモデル てるてる家族つながり?
引用元:https://www.nhk.or.jp
「まんぷく」の朝ドラつながりが、チョッとした話題になっています。朝ドラファンならではの、プチ情報ですね。
それは、2003年後期の朝ドラ「てるてる家族」です。ヒロインの岩田 冬子を石原さとみさんが、演じています。
冬子は、岩田家の四女です。冬子は、姉たちのように、才能や目標、夢はないが、明るく生きていきます。
モデルは、いしだ あゆみさんの妹で、作詞家・なかにし礼さんと結婚する、ゆりさんです。
この「てるてる家族」で、中村梅雀さんが演じる、安藤 百福のモデル・安西 千吉が、登場します。
安西 千吉は、戦後の大阪で、屋台ラーメンに群がる人々を見て、即席ラーメンを開発します。家出した三女の岩田 秋子(上野樹里)も手伝って、「ニコニコめん」をヒットさせます。
そのため、「まんぷく」で描かれる場面も、登場します。15年前の朝ドラを観ていた記憶が、蘇るのでしょうね。
そんな方々は、「まんぷく」を「てるてる家族」のスピンオフドラマと、言ってるようです。
朝ドラのように、歴史が長くなると、そんなつながりも出てくるケースもありますね。
ちなみに、「まんぷく」のヒロイン・福子のモデル安藤 仁子さんは、「てるてる家族」では、安西 節子(堀 ちえみ)となっています。
このように、朝ドラつながりでドラマを観るのも、楽しいですね。
まんぷくのモデル ホテルはどこ?
引用元:https://www.miyakohotels.ne.jp/westinkyoto/
ヒロインの今井 福子は、女学校を卒業して、ホテルの電話交換手になります。そして、長女の咲が結婚した後、母親・鈴との生活を支えます。
福子が就職したホテルは、大阪東洋ホテルです。ドラマでは、外国人も宿泊する一流ホテルとして描かれています。
実際のモデルとなったホテルも名門のホテルでしたね。京都の「都ホテル」、現在の「ウェスティン都ホテル京都」です。憧れのホテルですね。
モデルとなった安東 仁子は、女学院を休学し、大阪電話局で働き、学費を稼ぎました。その関係で、電話交換手の資格を得ています、
さらに、仁子は、英語も話せたため、都ホテルに就職できました。そして、仁子の働き振りが認められ、フロント係に、出世しています。
この流れは、ほぼドラマと同じですね。ただ、ドラマでは、大阪東洋ホテルで働き始めた頃、電話交換手の仕事で、よく失敗しています。
しかし、実際は、資格を持っていますので、テキパキと仕事をしたと思われますね。
まんぷくのモデル 姉はどんな人?
朝ドラ「まんぷく」のヒロイン福子(安藤 サクラ)には、二人の姉がいます。長女の咲(内田 有紀)と次女の克子(松下 奈緒)です。
この、二人の姉のモデルは、実在したのでしょうか。気になりますね。
まんぷくのモデル 安藤晃江はどんな姉?
引用元:https://www.nhk.or.jp/mampuku/
長女・今井 咲ののモデルは、安藤 晃江(あんどう てるえ)さんです。晃江さんは、仁子より9歳年上のお姉さんです。
晃江さんは、美人で絵が上手でした。将来、立派な画家になれたかもしれません。でも、苦しくなった家計を支えるため、「尚美堂」で働き始めます。
「尚美堂」は、宝石や美術工芸品のお店です。そして、夫となる久保 健治さんと知り合い結婚します。結婚生活でも貧乏が続き、晃江さんは、体を壊します。
当時は、治らない病であった結核になります。そして、結婚3年目で亡くなりました。晃江さん、27歳の時でした。
ドラマは、同じように描いていますね。ちなみに、晃江さんは美人でモテて、デートに仁子(福子)が付いていった、歯医者の男性が、白馬で交際を求めにやって来た、なども事実だそうですね。
昔は、美人薄命と言われたそうですが、晃江さんのようですね。
まんぷくのモデル 安藤澪子(みおこ)はどんな姉?
引用元:https://www.nhk.or.jp/mampuku/
次女・今井 克子のモデルは、安藤 澪子(あんどう みおこ)さんです。澪子さんはは、7歳年上のお姉さんです。
朝ドラ「まんぷく」では、松下 奈緒さんが、かなり豪快な女性を演じています。しかし、モデルの澪子さんは、控えめな女性だったそうです。
澪子さんは、長女の絵のつながりから、日本画家の有元 一雄を紹介され、手のモデルをしています。そのことが縁で、女学校を卒業した澪子は、有元と結婚しました。
しかし、ドラマの通り、有元は、好きな絵だけを描くので、収入はありません。しかも、5男3女の子沢山になり、かなり生活は苦しかったと言います。
澪子さん自身も手伝いなどで働きますが、妹の仁子も着物を質入して、援助したそうですね。8人の子供で、家族を合わせると10人です。かなり厳しい生活になりますね。
有元は、澪子より5歳年上の夫でした。
まんぷくのモデル 世良勝夫は誰?
引用元:https://www.nhk.or.jp/mampuku/
朝ドラ「まんぷく」では、世良 勝夫(せら かつお)を桐谷 健太さんが、演じていますね。
例の浦島太郎さんですが、テレビのように、元気いっぱいの役柄ですね。世良は、バイタリティに溢れていて、チョッとお調子者、自分勝手な感じもします。
「社長、お元気ですか!世良商事の世良でございます!」と、辺りかまわず近寄っていきます。
萬平にも、「一緒にラーメンを食べた仲やないか。親友や。」と、言います。しかし、形勢が悪い場合は、「ラーメンを食べただけのことや。」と、逃げます。
そんな調子のいい世良ですが、萬平が憲兵に捕まった時、助けるための手助けをします。まあ、これも、大阪経済界の重鎮の三田村 亮蔵が、傍にいたから、と思えますね。
しかし、結果的には成功し、萬平は、無事釈放されました。世良は、萬平の命の恩人と株を上げます。
こんな具合に、世良は、長く萬平と関わることになります。
こんな調子のいいモデルがいるのか、と思われますね。もし、実在したら、この脚本に、一言あるかもしれません。
でも、安心してください。現在のところ、該当するモデルが見当たりません。今後のドラマの展開によっては、それらしいモデルが出てくるかもしれません。
これからのドラマが、一層楽しみになりますね。
まんぷくのモデル 塩作りとは?
引用元:https://www.nhk.or.jp/mampuku/
朝ドラ「まんぷく」のモデル、塩作りのネタバレです。
大阪の泉大津に引越しした、福子や萬平たちです。陸軍倉庫の施設跡には、81枚の鉄板が残されていました。
萬平は、この鉄板を利用して、塩作りを考えます。それには、地元の清香軒で食べたラーメンの味が、薄いことが、キッカケデした。
塩が手に入りにくいので、お店本来の味が出ていませんでした。萬平は、皆が困っている塩を作ろうと、思い付きました。
萬平は、神部とともに、兵庫県の赤穂へ向かいます。赤穂の入浜式塩田で、塩の作り方を学びました。
太陽で熱くなった鉄板に、海水を流します。この作業を何度も繰り返し、水分を蒸発させます。そして、濃い塩水の鹹水(かんすい)を作ります。
次に、かん水を火で煮つめる煎熬(せんごう)作業をします。次第に、水分がなくなり、塩の結晶ができ、塩の花になり、塩が出来上がります。
萬平の作った塩は、少し茶色っぽくなりました。鉄板のサビの成分が、混じっていたからですね。
神部が、大阪から14人の人手を集めてきます。この塩軍団で、立花製塩所で、塩作りが始りますね。
実際も、ドラマのように、若者を集めて、製塩業をしています。その塩軍団が、モデルとなっていますね。
まんぷく モデルのまとめ
朝ドラ「まんぷく」の主要なモデルを調べてみました。簡単にピックアップしただけでも、いろんなモデルに、驚きますね。
時は、1940年代以降の激動の時代です。復興のさなかで、たくさんの人が、世のため人のために、努力したことが分かりますね。
なので、ドラマ「まんぷく」も、とてもダイナミックで、面白いストーリーになっていると思います。
まだまだ、たくさんのモデルが登場します。ドラマの進行と共に、楽しみになりますね。