「越路吹雪物語」あらすじ第59話(最終話)です。コーちゃんは、手術後、長野の別称で静養します。
しかし、1ヶ月ほどで、再入院しました。次第に、コーちゃんの体力は、弱ってきます。「走りすぎた」と、コーちゃんが、言いました。
「越路吹雪物語」あらすじ第59話(最終話)
引用元:http://www.tv-asahi.co.jp/koshiji/
手術から1カ月足らずで、美保子は退院しました。
「あーあ、今頃は、シャンゼリゼで買い物してたのにな」と、コーちゃんは、愚痴をこぼします。「長野の別荘もステキじゃないの」と、時子が言いました。
「病室に閉じ込められるより、天国ね」と、コーちゃんは、割り切りました。
コーちゃんが、「そろそろコーヒータイムかな」と、言うと、内藤法美が、「コーヒー入れてもらえるかな」と、言って来ました。
お手伝いの和子は、「いつも、ああやって、当てちゃう」と、驚きました。
静養を兼ねて、長野の別荘へ出かけたコーちゃんでしたが、1ヶ月ほど経ったころ、胃の痛みを訴えるようになりました。
そして、癒着の恐れもあるため、東京へ戻り、再入院となりました。
コーちゃんは、「また籠の鳥か」と、ぼやきます。時子は、「癒着でなくて、よかったね」「薬で痛みが取れたら、帰れるわよ」と、慰めました。
「そうしたら、ロングリサイタルの準備が始まるから」と、時子が言うと、「ウソ」と、コーちゃんが言いました。
時子は、「エッ!」と、ビックリします。病気のウソがバレタのかと。でも、コーちゃんは、別の話しを始めました。
コーちゃんは、去年のクリスマスディナーショーで、「来年のクリスマスディナーショーでも、またお会いしましょう」と、挨拶をしました。
だから、嘘つきにならないよう、「早く治さないとね」と、時子に言いました。時子は、「お客様もスタッフのみんなも、待っている」と、勇気付けました。
コーちゃん、逝く
コーちゃんは、見舞いにやって来た浅利慶太に、「これまでの常識を覆すような、新しい越路吹雪を見せたい」と、熱く語ります。
痛みがなくなり、調子のよい日には、コーちゃんの希望で、リサイタルの打ち合わせをしました。長年の友となっていた浅利も、コーちゃんの本当の病気を知る、数少ない一人でした。
浅利は、「立たせてやりたいね、舞台に」と、時子に話しました。
法美が病室に入ると、コーちゃんは、一服していました。「打ち合わせしたら、興奮しちゃって。これ鎮静剤」と、言いました。
それから、しばらくして、コーちゃんは退院しましたが、家で過ごせた時間は、あまり長くありませんでした。
コーちゃんが、「私、フルスピードで、走りすぎたかな」「でも、たくさん恋もしたし、やりたいことは、みんなやってきたから、なんの悔いも残らないわ」
と、時子に言いました。そして、法美に連れられて、病院へ向かいました。
時子は、お花を持って後から行くと、伝えます。そして、コーちゃんの家のベランダに咲く花を選びます。
そこには、コーちゃんの思い出の花、コスモスが咲いていました。コスモスを見つけた時子は、思わず涙が溢れ、その場に泣き崩れました。
コーちゃんは、入院しました。時子は、内藤に「お願いだから、甘やかさないで」と、言いました。
内藤は、「美保子さんが望むことは、全てしてあげたい」「命をあげられるのなら、喜んでそうします」と、悲しそうに言いました。
数日後、コーちゃんの心臓は、ひどく弱ってきました。そして、殆ど話すこともなくなっていました。
そんな時、身体をさすってあげていると、コーちゃんが、何か言いました。「ありがろう、和ちゃん」と、言ったと、じゅんちゃんが言いました。
すると、コーちゃんが、「ありがとうじゃない」「針あとに気をつけて、と言ったの」といい、笑い出しました。
それが、時子が聞いた、コーちゃんの最後の笑い声でした。
そして、11月7日、時子は、慌てて病室に向かいます。コーちゃんが、「お時さん、ありがとう」「お時さんは、いい子」と、かすかな声で、言いました。
時子は、「コーちゃんも、いい子よ」「ありがとう」と、声をかけました。
そして、コーちゃんは、「法美さん、コーヒーを・・・」が、最後の言葉でした。
1980年11月7日、コーちゃんは、その56年の生涯に、幕を下ろしました。
それでも、コーちゃんが残した歌声は、たくさんの人々の耳に、そして心に残り、これほどの長い時が流れても、繰り返し繰り返し、愛さされ続けています。
「越路吹雪物語」感想とまとめ第59話(最終話)
「越路吹雪物語」が、終わりましたね。
コーちゃんは、56年の生涯でしたね。もっと気をつけていれば、長生きできたのかもしれません。
でも、次から次へと、新しい越路吹雪を目指して、身体も心も酷使したのでしょうね。
コーちゃんが、遺言のように言った「急いで走りすぎた」のかも、しれません。
やるべきことはやった、悔いのない人生だったようですね。
長い間、お読みいただき、ありがとうございました。