なつぞら 134話あらすじ!天陽、自分らしさを貫く人生!

なつぞら

なつぞら 134話あらすじです。

 

天陽は、描き残した馬の絵を徹夜で仕上げました。

 

そして、畑の様子を見に行きました。

 

天陽は、収穫間近の畑を見て、力尽きました。

 

その日のうちに、なつは、天陽の様子を聞くことになりました。

 

なつの、夏休みは、間に合わなかったのです。

 

「なつぞら」あらすじ ネタバレ キャスト全話まとめ

 

 

 

なつぞら 第134話 天陽が逝く

引用元:https://www.nhk.or.jp/natsuzora/

天陽(吉沢 亮)は、徹夜して馬の絵を完成させました。

 

靖枝(大原 櫻子)は、その天陽の絵を見て、息を呑みました。

 

天陽は、病院に戻る前に、畑を見てくると言いました。

 

来週、退院する頃には、芋掘りになるので、様子をも見てくる。

 

もうすぐ、オヤジが搾乳に来る。

 

それから、お袋と子供達を、よろしく頼む。

 

と、天陽が言いました。

 

靖枝は、天陽の言葉に、不安になりました。

 

チョッと行って来るだけだから。すぐ戻ると、天陽が出かけました。

 

天陽は、畑に行き、様子を見ました。

 

そして、畑を触り、土地の温もりを感じました。

 

それから、天陽は、被ってきた麦藁帽子を脱ぎ、遠くに飛ばしました。

 

投げた麦藁帽子が、地面に落ちるように、天陽は、畑に倒れました。

 

夏の終わりのことでした。

 

なつは、作画室で、原画を描いています。

 

そこに、陽平がやって来ました。

 

陽平の様子を見て、なつは、陽平が東洋動画を辞めるのではと、思いました。

 

なつは、もう何を聞いても驚かないからと、言いました。

 

「天陽が、今朝早く亡くなった。」と、陽平が言いました。

 

何を言ってるのと、なつは耳を疑いました。

 

そして、すぐには、信じられない様子でした。

 

なつが、まとまった夏休みを取れたのは、9月に入ってからでした。

 

なつは、優と一緒に柴田牧場へと帰省しました。

 

優は、牧場の牛を見て喜び、馬に乗ることを楽しみにしました。

 

優は、富士子に会って、ただいまと挨拶をしました。

 

泰樹には、恥ずかしいのか怖いのか、すぐには傍に寄れませんでした。

 

なつは、天陽が亡くなったことが現実になるのが怖くて、すぐには帰れませんでした。

 

天陽の葬式は、立派なものでした。

 

テレビ局や新聞社もやって来ました。

 

天陽は、周りの人が知らない間に、偉大な画家になっていました。

 

 

なつ、天陽のいない十勝に帰る

引用元:https://www.nhk.or.jp/natsuzora/

照男が、牛舎を案内しました。

 

乳搾りは、搾乳機「ミルカー」になり、機械化が進んでいました。

 

ミルカーを使うと、手絞りの半分の時間で済みます。

 

柴田牧場は、ミルカーを3台導入していました。

 

お陰で、悠吉の搾乳は、なくなりました。

 

さらに、柴田牧場では、馬がいなくなりました。

 

代わりに、車やトラクターを使う時代になっていました。

 

天陽の家にも馬は、いません。

 

天陽の畑を開墾したときに来た馬も、昨年亡くなっていました。

 

25年以上よく働いた馬も、今ごろ天陽と会っているだろうと、泰樹が言いました。

 

なつは、今の仕事を辞めるかもしれないと、富士子に話しました。

 

何をしたいのか、分からなくなっていました。

 

さらに、優といられる時間を大切にしたとも、思っています。

 

それが、なつの出した答えなら、そうすればいいと、富士子は言いました。

 

なつは、色んなことがあって、少し疲れてしまいました。

 

次の日、なつ達は、天陽の家に行きました。

 

なつは、天陽のアトリエを見せてもらしました。

 

そこには、昔のように、馬の絵が沢山ありました。

 

優が、天陽の遺作となった馬の絵を見つけました。

 

「本物のお馬さんがいるよ。」と、優が言いました。

 

なつぞら 134話あらすじ感想のまとめ

なつぞら 134話あらすじ感想のまとめです。

 

なつは、9月になって、やっと十勝に帰省しましたね。

 

仕事が忙しいこともありましたが、天陽が逝ったことを認めるのも怖かったのです。

 

そして、天陽のことで憔悴し、アニメーターを続ける目的も、見失ってしまいました。

 

なつは、これから、どうするのでしょうか。

 

天陽が残した絵から、また目標を見出すのでしょうか。

 

一方、天陽は、所謂、農民画家なのでしょうか。

 

画壇関係では、著名な存在で、葬儀には、報道機関が多く集まったようです。

 

ならば、画家として生き、離農すれば、体を労わることも出来たでしょうね。

 

しかし、天陽の自分らしい生き方は、半農半画家だったのかもしれません。

 

 

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