「越路吹雪物語」あらすじ第57話です。いきなり、「越路吹雪の卒業」宣言をした、コーちゃんです。
今までの越路吹雪を卒業し、芝居がしたいと言い出しました。
そこで、劇団「民芸」の宇野重吉を訪ねたコーちゃんは、宇野から叱られてしました。
「越路吹雪物語」あらすじ第57話
引用元:http://www.tv-asahi.co.jp/koshiji/
ロングリサイタルの最終日に、美保子は、突然、「私、越路吹雪を卒業します」と、言い出しました。
あまりの衝撃発言に、時子は倒れそうになり、お手伝いの田畑和子は、泣き出してしまいました。
浅利慶太や内藤法美は、「どういうこと?」と、驚きを隠せません。
コーちゃんは、「私は、引退なんかしません」「今までの私にさようなら、新しい越路吹雪にこんにちわ」と、言うことと、説明しました。
ミュージカルから離れて、芝居がしたい、と言います。浅利は、「ストレートプレイだろ」と、言いました。
コーちゃんは、今まで、ミュージカルとリサイタルを両輪として走って来ました。これからも、これで続けられるが、「私は、常にラブが欲しい」
「第一線で、常に新しいことに、挑戦したい」「その仕事を愛したい」「いつだって、新しい越路吹雪でいたいの」と、語り続けました。
それで、コーちゃんがやりたい芝居は、「新劇」でした。宇野重吉の舞台に立ちたいと、希望を打ち明けました。
時子は、コーちゃんの舞台からの引き際のことを考えていた自分を心の中で笑いました。いつだって、コーちゃんは、力強く進み続けているのでした。
コーちゃん、宇野重吉の芝居をする
いよいよ、宇野重吉に面会する日がやってきました。コーちゃんは、朝から緊張しています。でも、時子の付き添いも断り、一人で出かけました。
コーちゃんが、これほど緊張する宇野重吉とは、戦前から舞台俳優として活躍し、戦後、日本の代表的新劇劇団となる、「民芸」を立ち上げた、伝説の人なのです。
コーちゃんが「民芸」を訪ねると、宇野重吉(山本學)は、芝居の稽古を中断して、会ってくれました。
コーちゃんは、宇野先生演出の舞台をやらせてくださいと、お願いしました。すると宇野は、「こらこら、ダメだ!」と、叱りました。
コーちゃんは、ビックリしますが、宇野は、「スターが、むやみに頭を下げるんじゃない」と、言いました。
「何がやりたいんだ」と言う宇野に、「なんでもやります」と、コーちゃんは、応えました。
すると宇野は、「つまんねーの、何でもやれますと、言ったらどうだい」と、またダメだしをしました。
宇野は、名優・米倉斉加年との「二人芝居」を、提案しました。コーちゃんは、嬉しさいっぱいに、「どうしよう」と、言いました。
そして1980年、春のロングリサイタルも大喝采を浴びながら、無事終了しました。いよいよ、古風なコメディの稽古が、始まりました。
稽古は、すべて宇野の劇団の稽古場で行われ、スタッフもすべて、宇野の劇団の人でした。そこへ、コーちゃんは、一人で稽古にやって来ます。
稽古では、宇野から、「だめ、だめ」が、連発します。馴れない環境の中、コーちゃんは、宇野の厳しい指導にも、懸命に食らい付き、頑張っていました。
時子は、民芸のやり方に、邪魔をしたくない、また、コーちゃんが叱られるところを見ない方がいいだろうと、芝居の稽古には、付き添っていませんでした。
時子は、コーちゃんからの電話の呼び出しに、慌てて家に向かいます。コーちゃんは、「何で、来てくれなかったのよ!」と、怒っています。
コーちゃんは、「私だって、泣きたくなることもある」「居て欲しいときもある」「いっぱい、怒られた」「だから、頑張る」
「だから、ちゃんと見ていてよね」と、子供のように、泣き出しました。
そして、春が過ぎ、コーちゃんは、猛烈に稽古に取り組んでいます。ガンの定期検査も延期して、稽古のスケジュールを入れました。
いよいよ、幕を開けた舞台は、宇野の演出、越路吹雪と米倉斉加年の演技共に喝采を浴び、客席は連日満員、ついには、追加公演も決まりました。
しかし、出番前のコーちゃんは、いつもの腹痛です。舞台に出れば治るからと、我慢をしていました。
そこへ、宇野がやって来ます。この芝居が終わったら、次は、「桜の園」をしようと、言いました。
コーちゃんは、チェーホフの「桜の園」と聞いて、大喜びしました。役者として認められたことに、時子と共に喜びあいました。
この時、コーちゃんの目には、未来へと続く明るい道が、見えていました。そして、それは、時子も同じでした。
まさか、残酷な運命が、すぐそこに待ち構えていようとは、二人とも知る由もなかったのです。
「越路吹雪物語」あらすじ第57話の感想とまとめ
コーちゃんは、ついに芝居でも大成功を収めましたね。浅利慶太とロングリサイタルを成功させ、そして、芝居だけの舞台も、やり遂げました。
宇野重吉は、俳優でも成功しましたが、「劇団民藝」の立ち上げと演出で、有名になりましたね。
テレビドラマや映画、歌手としてもヒットを飛ばした、長男の寺尾 聰さんが、知られていますね。
そんな、伝説的な人たちちと、共作を果たしたコーちゃんは、不動の地位を築き上げましたね。
しかし、そのプレッシャーがストレスとなり、身体を蝕んでいたようです。本人も、周りの人も気付かないうちに、取り返せない状態になっていました。